2009年10月14日

現代語訳 徒然草

ワラノート 徒然草を現代語訳してみる


82 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/21(土) 00:54:00.48 ID:diXUlC+20
【第19段】
季節の移り変わりがいい。
秋が一番いいとか言う奴は素人。今は春だよ、春。
鳥が鳴く、小春日和に草とかが生えだす、ちょっと霞んできて桜とかが咲く、
で、その頃くらいから雨が降り出してさっさと散ってしまう。あとは葉がつくまで待ちぼうけ。
花といえば橘なんてのも素人。やっぱ梅でしょ。あの香りだけでノスタルジー全開ですよ。
あと山吹とか藤、こういうのが通って言うんだよ。

原文
*第十九段
折節(ヲリフシ)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、
今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあンめれ。
鳥の声などもことの外(ホカ)に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(カキネ)の草萌(モ)え出(イ)づるころより、
やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、
折(ヲリ)しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、
万(ヨロズ)に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(ハナタチバナ)は名にこそ負(オ)へれ、
なほ、梅の匂ひにぞ、古(イニシヘ)の事も、立ちかへり恋(コヒ)しう思ひ出でらるゝ。
山吹(ヤマブキ)の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

86 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/21(土) 01:07:03.83 ID:diXUlC+20
灌仏会とか祭とかで若葉が萌えるのが世の中のgdgdとかイロコイとかよりよっぽどいい。
誰かが言ってたけど確かにそうだ。
5月は菖蒲の花が咲く、田植えの隣で鴨が鳴くのを見たら落ち着くじゃん。
6月もきったない家に夕顔が咲いたり蚊取り線香たいたりしてるのもそれはそれでいい光景だよ?
あと六月祓とかね。
七夕はいいね。だんだん夜が寒くなってきて、雁が鳴き始める、萩の葉が色づく、
あと稲刈りなんかも秋だよね。台風が通り過ぎた日の朝とかも何かいい。
源氏物語とか枕草子の二番煎じ?大切なことなので二回言いました。いいだろ、別に。
ここは俺のチラシの裏なんだよ、いやなら見るなよクソ共がwwww

「灌仏(クワンブツ)の比(コロ)、祭(マツリ)の比(コロ)、若葉の、梢(コズヱ)涼しげに茂りゆくほどこそ、
世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。
五月(サツキ)、菖蒲(アヤメ)ふく比、早苗(サナヘ)とる比、水鶏(クヒナ)の叩(タタ)くなど、
心ぼそからぬかは。六月(ミナヅキ)の比、あやしき家に夕顔(ユウガホ)の白く見えて、
蚊遣火(カヤリビ)ふすぶるも、あはれなり。六月祓(ミナヅキバラヘ)、またをかし。
七夕(タナバタ)祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(ヨサム)になるほど、雁(カリ)鳴きてくる比、
萩(ハギ)の下葉(シタバ)色づくほど、早稲田 (ワサダ)刈り干すなど、とり集めたる事は、
秋のみぞ多かる。また、野分(ノワキ)の朝(アシタ)こそをかしけれ。
言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古(フ)りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。
おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、
かつ破(ヤ)り捨(ス)つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

90 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/21(土) 01:25:30.56 ID:diXUlC+20
えーと、冬だよね。冬枯れとかはいいと思うよ。
こう、水際の草に紅葉が落ちてついでの霜まで降りちゃってる朝とか、
遣水から湯気が出てるのとかはいいね。年の暮れにみんながせわせわしてるのも見てて楽しい。
殺風景で誰も見ないような月がポツンと照ってるような20日すぎくらいの空なんかレアな景色でいいと思う。
御仏名とか荷前の使いが出る時なんかはちょっと身が引きしまる。
正月までは結構イベントも多くて、追儺から四方拝につながるコンボとかも面白い。
大晦日にたいまつをつけて夜中すぎに人ん家の扉を叩きながら走り回って、
マジウザいってレベルじゃないんだけど、明け方にはさすがに消えるから、逆にさびしくなるんだよね。
こういう迎え火的は行事は最近都会ではなくなったけど、田舎ではまだやってるってね。ざまぁwwwwww
ま、そんなこんなで年が明けて、って別に前の日と何もかわらないんだけど、気持ちだよ気持ち。
門松とか立ってたら新年だなーって思うじゃん。それがいいんだよ。


原文
さて、冬枯(フユガレ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣(オト)るまじけれ。
汀(ミギハ)の草に紅葉(モミヂ)の散り止(トドマ)りて、霜いと白うおける朝(アシタ)、
遣水(ヤリミヅ)より烟(ケブリ)の立つこそをかしけれ。年の暮れ果(ハ)てて、
人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、
廿日(ハツカ)余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名(オブツミヤウ)、荷前(ノサキ)の使(ツカヒ)立つなどぞ、
あはれにやんごとなき。公事(クジ)ども繁(シゲ)く、春の急ぎにとり重ねて催(モヨホ)し行はるるさまぞ、いみじきや。
追儺(ツヰナ)より四方拝(シホウハイ)に続くこそ面白(オモシロ)けれ。晦日(ツゴモリ)の夜(ヨ)、
いたう闇(クラ)きに、松どもともして、夜半(ヨナカ)過ぐるまで、人の、門(カド)叩き、走りありきて、何事にかあらん、
ことことしくのゝしりて、足を空に惑(マド)ふが、暁(アカツキ)がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。
亡(ナ)き人のくる夜とて魂(タマ)祭るわざは、このごろ都にはなきを、
東(アヅマ)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。
大路(オホチ)のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

84 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/28(土) 23:49:52.98 ID:XQ+bdVlA0
【第58段】
「道を求めようとする心があれば、どこに住もうが一緒。家にいて普通に近所付き合いしててもいいじゃん。
来世を願うのに別に支障もないっしょ」というのはわかってないやつの言葉ね。
解脱しようと思ったらね、仕事とか家庭とかどうでもよくなるの。そんなもんにかまけてるやつにわかってたまるかっての。
だいたい昔に比べて今は弱すぎ。山にこもってもやれ飢えるだの風雨が凌げんだの。
まあその辺はしょうがないから俗世にまみれるってこともあるけどさ。
「だったら山にこもる意味ないじゃんwwwwwwwwwwwww」ってのはバカの理屈ね。
俗世にまみれるって言っても紙の寝具、麻の服、一杯のご飯に雑草汁。そんくらいで十分なの。
安いでしょ? で、身なりも恥ずかしいから人付き合いもなくさっさと仏の道に入っちゃう。
人間さっさと俗世の欲から離れたほうがいいって。欲ばっかりかいてるとかケモノと一緒だからwwwwwww

原文
「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは」
と言ふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世をはかなみ、必ず生死を出でむと思はむに、
何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧る營みの勇ましからん。心は縁にひかれて移るものなれば、
靜かならでは道は行じがたし。
その器物(うつはもの)、昔の人に及ばず、山林に入りても、飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、
あられぬわざなれば、おのづから世を貪るに似たる事も、便りに觸れば、などか無からん。
さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」などいはんは、無下の事なり。
さすがに一たび道に入りて、世をいとなむ人、たとひ望みありとも、勢ひある人の貪欲多きに似るべからず。
紙の衾(ふすま)、麻の衣、一鉢のまうけ、藜(あかざ)の羮(あつもの)、いくばくか人の費(つひえ)をなさむ。
求むる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、惡には疎く、善には近づくことのみぞ多き。
人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそあらまほしけれ。偏に貪ることをつとめて、
菩提(ぼだい)に赴かざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。

118 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/29(日) 02:06:35.35 ID:/tVHDo680
【第137段】
満開とか満月とかがいいとか言ってるやつはド素人。雨の日に見えない月を思うとかね、
家の中で過ぎた春を偲ぶとかね、こういうのがいいんだよ。
あとはつぼみがついた木とか花が散ったあとの庭とかね。こういうのが通ってやつだな。
歌の詞書きを見てみ。「花見に行ったけど散ってました」とか「用事があって花見にいけませんでした」
とか結構あるだろ。「花を見て」なんてフレーズより多いんじゃないの?
花は散り際、月は沈みかけ。こういうの分かって当たり前だと思うんだけどさ。
バカは分かってないの。「全部散ってるじゃんwwwダメじゃんwww」なんて言ってんの。
ダメなのはお前だっつーのwwwwwwwwwwwwwwwww
何でも始めと終わりがいいんだよ。イロコイでもそう。ハッピーエンドです、ちゃんちゃん、じゃねーんだよ。
こう、会えない寂しさだとか、果たせなかった約束だとか、そういうノスタルジーに浸りながら
眠れない夜をすごす、雲の向こうに面影を探す、あばら家で昔を偲ぶ。これが大人の恋ってやつなんだよな。
月も満月がピッカーって光ってるんじゃなくて、こう、明け方まで待っててやっと出てくる月な。
こう、青っぽくてさ、山の杉の間からチラ見とか、むら雲からうっすら見えるとかさ。これ、これなんだよ。
椎とか樫の濡れた葉っぱに映って光ってるシーンとかマジ感動もんですよ。
わかってるダチに見せたいなぁ。もうほんと都会が恋しいわ。
っていうか月だの花だのは目でみるんじゃないんだよ。心。わかる? 春は家から出なくてもいいし、
月夜も部屋にこもってていいんだよ。むしろそっちのほうがいい。
分かってるやつは控えめに楽しむものなんだよ。仰々しいのは田舎モン。
桜が咲いたらみんなでお花見、飲んで歌ってギャースカ騒ぐ。しまいには枝なんか折りやがってんの。
泉があったら手足を浸す、雪が積もれば足跡をつける。もう見てらんない。
こういうのが祭りを見るときもバカ丸出し。見るものがないからって奥のほうで飲み食い、
碁だの双六だので遊んでる。で、桟敷に誰か立たせて合図させてんの。
行列が来たら来たで我先に桟敷に走ってきて、押し合いへし合い一瞬も見逃すなくらいの勢いでギャーギャー騒ぐ。
で、行列が去ったら次が来るまでまた飲み食い。
都会の分かってるやつってのはまず寝てるね。これ。若いのは仕事で忙しいし、
誰かに付き添ってるやつはわざわざ見ようともしない。

119 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/29(日) 02:06:46.32 ID:/tVHDo680
葵祭りを見るときは、夜明け前に車が静かにやってくるところ。誰が乗ってるのかちょっとわくわくするじゃん。
で、見たことのある牛飼いだの下男だのがいるわけですよ。そんなこんなでいろいろ飾った車が通る。これがいい。
で、終わったら終わったでみんなさっさと帰っちゃう。車とかいつの間にかいなくなっちゃう。
簾とか畳とかも全部片付けられちゃう。その後の閑散とした通りね。もう最高に胸キュン。
これを見て初めて葵祭りを見たっていえるんだよ。
そういえば桟敷見てたら結構知ってる人がいるのな。世間って狭いよな。
こいつらが死んでから俺が死ぬってなっても、どうせ大した差はないんだろうな。
大きい器に水を入れてさ、ちっちゃい穴あけるじゃん。ほったらかしてたらいつの間にか水なくなるじゃん。
都の人口考えたら毎日誰かが死んでるわけじゃん。葬式なんて毎日やってるじゃん。
棺おけとか毎日作ってるじゃん。
若いとか健康とか関係なしに死って突然くるじゃん。それ考えたら今生きてるのも不思議じゃん。
人生長いとか考えるのはバカじゃん。
継子立ちってゲームがあるんだけど、たとえたらそれと一緒だね。
双六の石を並べて取っていくんだけど、どの石から取っていくとかはわかんないんだけど、結局全部取っちゃう。
兵士が戦場に行くとき、死を覚悟するから家族とか自分の身とかも気にしなくなる。
世の中を捨てたやつはのんびり庭弄りなんかしちゃってさ、他人事じゃねーっつーの。
お前らにも死は間近に迫ってんの。さっきの兵士と一緒。肝に銘じとけよカスどもwww

120 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/29(日) 02:08:58.25 ID:/tVHDo680
原文
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、
なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。
歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」
なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、
殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。
萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情(なさけ)も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。
逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、
淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。
望月の隈なきを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、
いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、
またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、
心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、
いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。
片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、
酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、
雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。
さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なり」とて、
奧なる屋にて酒飮み、物食ひ、圍棊・雙六など遊びて、棧敷には人を置きたれば、「わたり候ふ」といふときに、
おのおの肝つぶるやうに爭ひ走り上がりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつゝ、
一事(こと)も見洩らさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物事に言ひて、渡り過ぎぬれば、
「又渡らむまで」と言ひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りて、いとも見ず。
若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後(うしろ)にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、
わりなく見むとする人もなし。

121 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中:2008/06/29(日) 02:10:03.25 ID:/tVHDo680
何となく葵(あふひ)かけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、
其か、彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、
さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、
いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾・疊も取り拂ひ、
目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて、哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。
この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。
大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き孔をあけたらんに、滴る事少しと云ふとも、
怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。
一日(ひ)に一人二人のみならむや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、
送らぬ日はなし。されば、柩を鬻(ひさ)ぐもの、作りてうち置くほどなし。
若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。
暫しも世をのどかに思ひなんや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、
取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、
またまた数ふれば、かれこれ間(ま)拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。
兵の軍(いくさ)に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。
世をそむける草の庵には、しづかに水石(すいせき)をもてあそびて、これを他所(よそ)に聞くと思へるは、
いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、
軍の陣に進めるに同じ。


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posted by rawwell at 14:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | おもしろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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