2009年07月06日

遊んでばっかで勉強が足りないことの弊害

id:kawangoさんのブログは全て釣りエントリだと思いますが
あえて全力で釣られてみます。

個人の才能とはいったいなにか - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

さて、今回のエントリではふたりの間違った考えそのものよりも、ふたりがなんでこんな間違った考えをもつにいたったのかについて根本的なところから神の視点で議論していきたいと思う。

端的に申し上げると、ふたりとも受験勉強のやりすぎである。

ふたりの学歴なり経歴は残念ながら知らない、また興味もないので、ググるのはカスなみなさまに任せるとして、ここでは彼ら二人が、高学歴かつ
受験戦争の不幸な被害者という前提で話をすすめることにする。
「神の視点」から恣意的な「前提」を元に議論を展開するのですね、わかります。
20人で1兆円儲かる会社があらわれるという妄想がばからしいのは、ゲームのルールをきめているひととゲームのルールの中でプレイしているひとがいるという基本的な事実を無視しているからだ。資本主義というゲームのルールをきめているひとたちと関係のないところで、個人の才能(笑)によって、そんな企業が出現するとしたら、それはルールのバグが発見されたにひとしい。

大きなバグは速やかに修正されてあたりまえだ。修正されないためにはルールを決めている側に参加できるかどうかが鍵になる。

資本主義は「バグ」だらけであるというのは周知のことだと思う。
そしてこの規模の「ゲーム」の「バグ」が「速やかに修正される」はずということこそ「妄想」ではないだろうか。

「20人で1兆円儲かる会社があらわれる」という表現は誇張が含まれてるとしても
これを妄想と言い捨てるのはどうかと思う。
たとえば、OvertureのPPC(Pay Per Click)のような特許により
その収益が莫大なものとなる可能性は十分考えられる。

また、YoutubeがGoogleに買収された当時
従業員数が70人程度だったことを考えると、
会社の規模もあまり問題にならないのではないだろうか。

なお、「修正されないためには〜」の文章は日本語的に意味が通じないと思う。
また、社会の中でゲームのルールをつくり維持するというのも大変な作業だ。

個人の才能だけで、大きなリターンを得ることを目指すという考え方は、社会のゲームの隠れたルールをうまいこと見つけて利用するということだ。その発想に社会には貢献するという考えかたはない。

個人の生き方としてはありでも、社会的には賞賛されるべきものではない。

大きなリターンを得る過程で、企業が雇用を創出するのであれば

それは十分に「社会に貢献」することであり、「賞賛される」べきものではないのであろうか。

ということで、そろそろてきとーな結論でこのエントリをまとめるとする。

勉強ばっかしないでWorld of Warcraftでもしろ

ということで。


合わせて読みたい:

おい、kawango、本当の受験勉強をおしえてやる - ひがやすを blog
東大の理三に入るような受験というピラミッドのトップにいる人を除いて(知らないけど理三の中にもミニピラミッドがあるのかも)、ほとんどの受験生は、自分がどんなに努力してもかなわない人がいることを受験を通じて感じているはず。だから、受験での経験を通じては、「優秀な人間は、うまくやれるはずだ」という思考パターンにはなりにくいんじゃないかと思います。

彼らがそのような思考パターンを持っているとするなら、受験以外で身につけた可能性が高いんじゃないかと思います。

まあ、そろそろてきとーな結論でこのエントリをまとめることにします。

勉強ばっかしないでドラクエでもしろ

ということで。
タグ:business
posted by rawwell at 20:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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